2012年04月30日
中書島のお話
2年程前の吟行
観月橋の宇治川から宇治川派流を行くと十石船が係留してあって
その乗り場が橋の下にあります、その近くには三十石船が係留して
あります、近くには坂本竜馬が襲われた寺田屋があります、
御大典記念の石碑には「伏見市長」と書いてあります、
現在は伏見区ですが かっては「伏見市」だったのです。
もう少し行くと かつては 伏見港があった所です、
旧伏見港は三十石船で大阪から貨物と人を運んでいましたが
自動車に変わりました。
旧伏見港は中書島の伏見港公園体育館の西側に あります。
中書島の地 名の由来
豊臣秀吉が伏見に城を構えていた頃 これに仕えていた
中務大輔(なかつかさ だいふ)の職にあった脇坂淡路守が
文禄年間(1592-1595)芦萩の生い茂るこの島を
拓いて橋を架け屋敷を建てて住み始めました。
中世、官名を中国流にしゃれて呼ぶ慣わしがあり
これを唐名(からな)といいます、 脇坂淡路守は中務省の役人
だったので「中書さま」と呼ばれていて 屋敷を構える島を
「中書島」と 言うようになりました.
5月の季語
小鹿 入学 緑陰 藤 松落葉 麦の秋 新茶 鯉幟
飾冑 加茂祭 ばら 蓮華 薄暑 藪椿
4月の句会の お句
紬織るのみを意中の白き息
西方へ白帆を上げて水芭蕉
帯の絵に金と銀との花吹雪
花筏橋を潜れば平安宮
東風来たる石垣のみの不老城
異議なしの満場一致や白木蓮
花筵 上座下座なかりけり
花の句座 設けありたる新居かな
新調の服晴れがまし種案山子
![s出会い橋 010.jpg](http://www.kyoto-sky.net/blog/s%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E6%A9%8B%20010.jpg)
これは宇治川から分かれた宇治川派流です
これは十石船です
![s出会い橋 006.jpg](http://www.kyoto-sky.net/blog/s%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E6%A9%8B%20006.jpg)
これは十石船の乗船場です
![s出会い橋 008.jpg](http://www.kyoto-sky.net/blog/s%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E6%A9%8B%20008.jpg)
これは三十石船です
![s出会い橋 005.jpg](http://www.kyoto-sky.net/blog/s%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E6%A9%8B%20005.jpg)
ここは坂本竜馬が襲われたと言われている寺田屋です
![s出会い橋 007.jpg](http://www.kyoto-sky.net/blog/s%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E6%A9%8B%20007.jpg)
この石碑には伏見市長と書いてあります
石碑の上の方が写っていません、御大典工事竣工記念碑です
![s出会い橋 004.jpg](http://www.kyoto-sky.net/blog/s%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E6%A9%8B%20004.jpg)
この出会い橋は宇治川派流と濠川(ほりかわ)の合流点です
これは出会い橋から北の景色です
これは伏見港公園の北側の宇治川派流です
これは かっての伏見港です、現在は伏見港公園です